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小泉孝太郎さん 関東学院六浦 「政治家・小泉純一郎の息子」から逃れたかった

2019.08.01

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中村 千晶
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中高時代、野球部で得たことが今につながっているという小泉孝太郎さん。代々政治家という環境に生まれ、将来について悩んだことも。父で、元総理大臣の純一郎さんの存在も人生に大きな影響を与えているようです。

話を伺った人

小泉孝太郎さん

俳優

(こいずみ・こうたろう)1978年、神奈川県横須賀市生まれ。関東学院六浦小学校、同中学校・高等学校を卒業。2001年に芸能界入りし、02年にテレビドラマデビュー。以降、数々のドラマ、映画に出演しバラエティー番組でも活躍。16年から「警視庁ゼロ係~生活安全課なんでも相談室~」(テレビ東京)に主演。シーズン4197月から放送中。

いまも「これに勝てば甲子園」の夢を見ます

――どんな学生時代を送りましたか?

 小学校から関東学院六浦に通っていました。周囲に海も山もある自然の豊かな学校で、のびのびとおおらかな雰囲気でした。敷地内に幼稚園(現在は認定こども園)から大学まであるので、異世代と触れ合う機会が多かったことも、すごくよかったと思います。小学校時代から野球が好きだったので、中学・高校と野球部に所属して、野球に打ち込んでいました。ポジションはサードです。部活では上下関係の厳しさやチームプレーの大切さなど、たくさんのことを学びました。父も野球が好きで、子どものころは一緒にキャッチボールをしたり、バッティングセンターやプロ野球観戦にもずいぶん連れていってもらいました。

小泉孝太郎さん2
撮影/掛 祥葉子(朝日新聞出版写真部)

――勉強はいかがでしたか?

 野球第一だったので、勉強は最低限でいいと思っていました。100点中50点取っておけばいいや、と。ただ、僕はなにか一つのことにすごく熱中するタイプなんです。例えば学校全体でやる「英単語テスト」は学年トップで断トツでした。担任に「お前はどうしてその集中力と努力を、普段のテストで出さないんだ?」とよく言われました(笑)。熱しやすく冷めやすいのかな。だからいま、3カ月間集中してドラマを撮るような俳優の仕事は、自分にすごく向いている気がしています。

――学生時代に挫折した経験は?

 高2のときに椎間板ヘルニアを患って、野球を続けられなくなったんです。気持ちを切り替えて応援団で頑張ろうとしたんですけど、このときの挫折感は実はいまもけっこう残っています。いまだに試合の夢を見るんです。「これに勝てば甲子園に行けるぞ!」というシーンで目が覚める。自分のなかにまだ完全に消えていない悔しさや後悔があるのかもしれません。

「政治家になれ」と言われたことはない

――どうして俳優の道を選んだのですか?

 僕は父から常に「自分が夢中になれることを探しなさい」と言われ続けてきました。野球をあきらめてから「それはなんだろう?」と考えました。父から「政治家になれ」と言われたことは僕も弟の進次郎(衆議院議員)も一度もありません。むしろ「政治家にはなるな」と言われていました。あんなに苦しい仕事はないぞ、と。それでも子どものころは「将来は政治家になるのかな」という漠然とした思いはありました。家に後援会の方や支援者が常に出入りして「坊ちゃん、坊ちゃん」と言われますから。

 地元にいればずっと「小泉純一郎の息子」として生きていかなければならないことはわかっていました。でも僕は「そこから逃れたい、自分の人生を歩みたい」と思ったんです。

 そのなかでふと、役者という仕事にひかれたんですね。子ども時代から映画やドラマが大好きでしたし、父からは「いろんなものを見なさい」と言われ、歌舞伎やオペラ、クラシックのコンサートなどにも触れさせてもらっていました。いま振り返ってみると父の仕事は国家や国民という現実的な問題を扱うもの。自分はそうではなく、現実とは違った夢のある世界にひかれた気がします。そこに自分が求めている刺激や答えがあるような気がしました。なにより「小泉純一郎の息子」ではない、「小泉孝太郎」になりたかったんです。

小泉孝太郎さん3
撮影/掛 祥葉子(朝日新聞出版写真部)

――そして高校卒業後、俳優を目指した?

 大学に進んで、就活して――というレールから一呼吸置きたかったんです。親には申し訳なかったのですが、いったん立ち止まって考えたかった。高校3年のときの担任がすごく熱心な女性の先生で、親身になって進路について考えてくださって、心の支えになってくれました。「小泉が一番没頭できたり、熱中できたり、一生懸命になれるものを探しなさい」と。

 そして父も「無駄に大学の4年間を過ごすんだったら、行かなくてもいい。やりたいことがあれば挑戦すればいい」と言ってくれました。「ただし責任は全部自分が負うんだぞ。就職活動含め、自力でやりなさい」と。これがよかったと思います。「この人、いざとなったら平気で息子を見捨てるぞ!? しっかり生きていかなきゃダメだ」って思いましたから(笑)。そう言われなかったら僕は甘えていたかもしれない。

 大学には行きましたが、中退し、思い切って芸能界に入る挑戦をしました。いま考えても、あの父じゃなかったら許されなかったでしょうね。総理大臣の息子が芸能界に入るなんて、普通はあり得ないですよね。でも父は「孝太郎の人生だからやってみなさい」と言ってくれました。

 人生で大切なことは、全部父から教わった

――父親の純一郎さんから受けた影響は?

 人生で大切なことは、全部父から教わった気がします。例えばうちは兄弟の仲がいいんです。買い物も食事も映画も、大人になってからは飲みにもよく一緒に行きます。それも小さいときからの父の教えなんです。「兄弟はどんなときも支え合い、助けなさい」と。父は家にいるときも、総理大臣であるときもなにも変わらない。いつも、あの人のままなんです。そんなふうに自分を確立して生きていくことの大切さに、僕も進次郎も影響されていると思います。

 そういえば高校の卒業式に父が来てくれたんです。そのとき初めて僕のことで父が泣いている姿を見ました。総裁選の準備ですごく忙しかった時期で、式の後はすぐに「じゃあ」と車で東京に戻っていった。あのときの父の姿はすごく印象に残っていますね。

 ――俳優活躍の原点は?

 20代のころは「早く結果を出したい」という思いもありましたけど、俳優をやめようと思ったことは一度もありません。現場が好きなんです。人のエネルギーが集まる場にいると生きている感じがする。本当にこの仕事を選んでよかったと思います。

 演技の勉強もしたことがなかった僕がいまも俳優を続けていられる理由には、学生時代の野球の経験があると思います。チームプレーの大切さ、厳しい監督からの教え、仲間と過ごした時間・・・・・・なにも無駄になっていない。中学時代に野球部で「One for All All for One(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)」という言葉を教わったんです。いま仕事をするときも、この言葉を一番意識しています。

関東学院六浦高等学校

男女共学の中高一貫教育校。中高の6年間を3段階に分ける独自のシステムを採用。英語教育、グローバル教育を重視し、キリスト教教育も実施。卒業生に竹中直人さん(俳優)、小泉進次郎さん(衆議院議員)らがいる。
【所在地】横浜市金沢区六浦東1-50-1
【URL】https://www.kgm.ed.jp/

小泉孝太郎さんドラマ
写真:©テレビ東京

「警視庁ゼロ係~生活安全課なんでも相談室~」(テレビ東京)は、719日から、毎週金曜日夜8時放送。出演者は、小泉孝太郎、松下由樹、安達祐実など。番組公式ホームページはこちら

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