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山口真由さん 筑波大学附属高 塾行かず、参考書を100回読んだ

2019.06.04

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橋爪 玲子
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東京大学を卒業後、財務省に勤務。日本での弁護士活動を経て米ハーバード大学に留学。テレビや執筆でも活躍する山口真由さん。筑波大学附属高校時代はどんな生活、またどんな勉強法だったのでしょうか。

山口真由さん

話を伺った人

山口真由

ニューヨーク州弁護士

やまぐち・まゆ 1983年、札幌市生まれ。筑波大学附属高等学校を卒業後、東京大学へ進学。在学中に司法試験に合格。卒業後は財務省に入省。その後2009年から15年まで弁護士として活動した後、ハーバード大学のロースクールに留学。17年にニューヨーク州弁護士登録。現在、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程に在籍中。テレビ出演や執筆などでも活躍

北海道の公立中学を卒業後、親元を離れて東京の筑波大学附属高校に進学しました。

札幌に住んでいた私は、中学生になって全国模試を受けるようになりました。母に全国で自分の成績がどれくらいのところにあるかを知っておくのも大事だよと勧められたからです。母が勧めたのは、母自身の経験からでした。うちは両親とも医者ですが、母親は大学の医学部受験で浪人していて、早く全国模試を受けていたらもっと自分の実力がわかったのに、と思ったそうです。

私も全国模試を初めて受けたときは、こんな難しい模試があるんだと驚きました。そして順位を上げることで東京のトップレベルの子たちに近づくことができるんだと、勉強することへのモチベーションにもつながりました。

そして中学3年生のときには、なんと全国で1位をとれたのです。すると模試を主催する塾から東京の高校を受けてみませんかと電話をいただきました。都内でもトップクラスの高校を受験することになり、結果は合格。そうなると行くかどうかになりますよね。当時の私は思春期真っ盛り。親は「東京に出るのは大学になってからでもいいんじゃない?」と言うけれど、私はその言葉にカチン。「私の可能性をこんなところに閉じ込めないで」って(笑)。最終的に両親は私が決めたことを応援してくれて、横浜にいる祖母の家から通うことになりました。

もともと小学校高学年のときに「官僚たちの夏」というテレビドラマや、結婚前の雅子さまの姿を見て、官僚ってかっこいいなとすごく憧れていました。父に話すと、「官僚になるには東大の文Ⅰに行かないとな」と言われて、それが東大をめざすきっかけになりました。きっと頭のどこかに東大がインプットされたのかもしれません。官僚になるために東大をめざし、東大への進学率が高い筑波大附属高校へという選択につながったのだと思います。

親元を離れての生活はどうでしたか?

すごく大変でした。親って日常的にいろいろなことを考えてくれていたんだと痛感しました。風邪を引いたとき、親に「風邪引いたみたい」なんて言った覚えもなかったけれど、親は風邪薬を用意してくれて早く寝なさいと、体調の変化にもすぐに気づいてくれていたんですね。祖母もよくはしてくれたのですが、やはり遠慮もあります。体調を崩して、夜中にひとり嘔吐を繰り返し、涙を流しながら心細さや寂しさを実感したこともありました。

そんな状態でしたから、親元を離れて、上京後は反抗期なんて一気に吹っ飛んでしまいました。離れているから意識的にコミュニケーションをとらなくてはという思いが強くなり、高校・大学時代は毎日実家に電話をしていました。今も週1回は実家に電話をしています。

高校時代はどのように勉強しましたか?

うちの高校は国立だからか、テストをやっても成績の順位が出なかったですし、数学のテストはクラスごとに違っていました。順位を競うより、自主性と考えることを重んじる勉強だったと思います。こういうことに興味があると先生に言うと、どんどん新しいことや発展的なことを教えてもらえるような環境でした。

ただ受験対策のための勉強という感じではなかったので、そこは自分でやらなければなりません。塾に通う人も多い中、私は塾や図書館で誰かと勉強するのがあまり好きではなく、受験のときも塾には通わず、ひとり家で勉強するタイプでした。なので、何よりも参考書選びにはすごく気をつけていました。自分が知っている中で一番大きな本屋さんに行き、教科書のすでに習ったページを広げます。たとえば基本的人権のページ。その記述が書いてある参考書を片っ端から並べて、一番網羅的に書かれたものを選びます。そして自分が納得して選んだその一冊を何十回も、教科によっては100回以上でも繰り返して読みます。1回で読み込もうとせず、繰り返して読む中で毎回新しい発見に出合うはずです。

数学は私はあまり得意じゃなくて、自分で答えを考える前に最初に全部解答を見て、この解き方を覚えればいいのねというやり方でした。数学が得意な子は、どんな難しい問題も自分で考えて解くことが面白いと言うんです。数学はその子にはかなわないなと感じました。勉強のやり方は人によって全然違って、自分に教えるようにしゃべりながら勉強をしている子もいました。みんな自分に合った勉強法を見つけ、その方法を信じてやり抜くことが、受験勉強も含めて勉強をするうえで何よりも大事なことだなとつくづく思いました。

勉強以外で夢中になったものは何ですか?

サッカー部のマネジャーをしていました。私は運動神経があまりよくなかったのですが、スポーツは好きだったのでチームに関わる何かをしたかったんです。野球部のマネジャーは人気で、マネジャーだけで1チームできるほどだったし、バスケットボール部は室内だったので臭いがきついかなという理由でサッカー部にしました。練習時間も結構長かったので、マネジャー同士も仲良くなり、ときには「あの子はあまり裏方の仕事はしないけれど、選手の前に出ていくのは好きだよね」と、女子同士の小さな社会もおもしろがっていました。大きな試合の前にはマネジャーみんなで勝利を願って千羽鶴を折ったことも青春ですよね。

高校時代に影響を受けた本はありますか?

私は子どものころから本を読むのが大好きでした。両親も小学校に入る前は、絵本を何度も繰り返し読んでくれたり、両親が創作した童話を聞かせてくれたりしました。小学校のときはファンタジー小説が好きで、とくに『はてしない物語』が大好きでした。物語の世界にどっぷりつかり、困難を乗り越えて冒険の旅を続ける主人公に自分を重ねていました。本を読んで気分転換をし、さあ現実の世界に向き合っていきましょうという感覚でしたね。

高校生になると、ディック・フランシスやフレデリック・フォーサイスなどの論理的な文章に引き込まれました。行間とか余韻とかではなくて、描写が細かいんです。「この人はこういう人であった」と書かないで、細かい事実を積み重ねることで、その人の全体像を描き出す文章の書き方が好きでした。それは弁護士になったときの仕事にも役に立ちました。

高校時代の何が今につながっていますか?

親元を離れてからもずっと変わることがないのが、両親が習慣づけしてくれた規則正しい生活です。例えば夜ごはんは夜7~8時半、寝る時間は遅くても11時半までなど、ごはんを食べる時間と寝る時間は基本的に動かさないようにして、スケジュールを立てています。「生活が整っている=自分自身が整っている」と感じています。そうすれば、社会に出ていろいろな人との関係や運などの巡り合わせから何か生活に変化があっても、振り回されることがあまりありません。それが、ベストパフォーマンスができる状態に常にいられるということだと思います。

【筑波大学附属高等学校】 1888年に設立。130年以上もの歴史がある国立の進学校。男女共学で、通称「筑附」「附属」といわれる。教育モットーは「自主・自律・自由」。大学入学後の学習や研究を遂行する力や社会に出て活躍するときに必要となる力を重視する教育を行っている。
【所在地】東京都文京区大塚1-9-1 http://www.high-s.tsukuba.ac.jp/shs/wp/

東大首席・ハーバード卒NY州弁護士と母が教える 合格習慣55: 家庭でできる最難関突破の地頭づくり
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